生まれは大阪、大学時代は神戸、現在は京都に暮らしている地元があんまり好きではないmikkkuchan's vlogです。
なにか頑張ってそうで意外と何も頑張ってない人生について振り返ってみます。私は自分の人生割と好きで、自分が過去に起きた話や、過去に手に入れた称号などは永遠に語りたいタイプなのでこいつ自分のこと好きなんやろな、相当喋りたいんやろな、と思った人はその通りです。でも特別何かを成し遂げたわけでもないし、ただただ普通に過ごしていたのでこれだけは伝えたい!!とかもないし、これ頑張ってたらいいよ!とかもないし、割とそんなおもろないかもしれん、身内しか面白くないかも。
0歳〜3歳(〜中百舌鳥団地〜)
生まれたのは大阪の中百舌鳥(なかもず)と言うところ御堂筋線の終点のあたり、そこの割としょぼめのアパートに松本家待望の長女として産み落とされました。後から聞いたところによるとお母さんは私が生まれる前と妹が生まれる前のニ度、流産をしているらしく、健康に生まれてくることだけを祈ってたらしい。生まれた時から体弱くて、今もめちゃくちゃ風邪ひくし普通の人より病気なので祈りはあんまり効いてないっぽい。
(当時の私)
2歳くらいの頃から音に敏感で、夏の暑い日でも外から聞こえる車の音とかがうるさくて窓を閉めに行ってた松本は、誰かがおっきな音を出すだけでビビり散らかしてたらしい。ちなみに音は今でも苦手で、家の中はできる限り無音で過ごしてるし、耳にダイレクトに音が伝わる気がして苦手。声でかい人も高い人も苦手。人混みとかも苦手やから絶対にイヤホンつける。苦手なもん多いな。
向かって右側が3歳の松本。この頃から眉毛が太くて、のちに全剃りしてしまうことを彼女はまだ知らない。
4歳の頃にスーパー大甘やかされわがままモンスターの妹が誕生
私が4歳の時、スーパー大甘やかされ自分一人じゃなんもせん泣けば許されると思ってる野郎の妹が誕生。
お母さんが入院してる時母方のおばあちゃんが面倒をみてくれていて、その時の写真を見るだけで思い出したりはせんけど、ばあばがきっとめちゃくちゃ可愛がってくれてたんやろな、とか想像しただけで泣ける、だって今でも可愛がってくれてるのに。
(去年一緒に買い物に行った時に変な帽子があって、それを被らせたら割と楽しそうな顔してて妹と大爆笑したばあばの姿)
そんなばあばとよくアイロンビーズをしていて、その時私は鼻に何かを入れるブームがきてたので、アイロンビーズを鼻に大量に詰め込んでとれなくなって大惨事になったらしい。その1日前は風船ガムの膨らます前の状態の硬いやつを鼻につっこんで取れなくなって泣いたらしい。ほんまになんでなん?
ちなみにばあばは何回も私を殺しかけてるらしく、お父さんがいつも「お母さん何回も実来を殺しかけてるからな〜」と言ってるところをよく見かける。そんなお父さんも私を何度か殺しかけてるらしいけど、その話は後でします。
2歳くらいの時にばあばが私をベビーカーから持ち上げてそのまま床に落としてしまうという最恐エピを踏まえて、最強に育てられた私にもついに四つ離れた妹ができます。
こいつはもう、生まれた時から甘やかされてた。今も死ぬほど甘やかされてるけど、それはもう、デッロデロに甘やかされてた。ムカつくくらい。妹がなんか欲しいっていえばすぐに買い与えられてたし、私のもの取った時は「お姉ちゃんなんやからそれくらい貸したりや!」とか言われて怒られた。今も言われるけど理不尽すぎん?お姉ちゃんなんやからってなに?同じ生命体で同じ家庭に生まれ育ってちょっと早く発育してるだけですけど?
(左:私 右:妹)
顔は全く似てないけど声はそっくりで、この頃はまだ仲良すぎて困るくらい仲良かったらしい。
妹との幼少期のおっきなエピソードといえば、妹が引き付けを起こして泡吹いて白目で倒れた時、その姿が怖すぎて妹が死ぬと思って「まみが!!!!まみがしぬ!!!!まみがしぬ〜!!!!」と叫んで大号泣した私をお父さんがちょっとおもろくて笑ってしまったという話。
この姿は今でも思い出せるくらいマジで怖くて、妹が乗って行った救急車の音も怖くて、今でも救急車の音聞くだけで心臓バクバクしたりする。子どもの頃のトラウマって怖い。
(のちに、妹は成長して鬼の反抗期時代に突入、ドア蹴って穴開けたり、私を箸で刺そうとしてくるようになる)
みくちゃん嘘ついた!神様にはよあやまりや!
私はこのエピソードを一生忘れません。今でも覚えてるくらいショックやった話。
「かみさまにあやまりや!」っていうフレーズが死ぬほど流行った年長さん時代、みんなもあったと思うけどうちの幼稚園も例に漏れず、何かするたびに「かみさまにあやまりや!」「はよあやまらなおこられるねんで!(神様せっかちタイプ)」って言いまくる幼少期
神様に謝るって、別にカトリックでもなく何の宗教も信仰してないのに神様に謝るのは難しいお願いなので、当時神様に真剣に謝ろうとしてた私は1番信仰能力に長けてたと思う。
私は当時思ったことをはっきり言ったりとかができないタイプで、周りの子達はお姉ちゃんがいる子達やったからお口が達者やったらしい(お母さん談)。私がきてたスモックの背中にクレパスでアホって書かれてたりとか、遊びに入れてもらえへんかったりとかしてたらしくて、泣いてたそう。立派ないじめられ方されすぎてて笑う。
そのお姉ちゃんっ子の友達1.友達2と、お昼ご飯の時間に何を思ったか
私「こっぷたべれるで」
友達1「え、みくちゃんこっぷたべれんの?」
私「うそついた」
友達2「みくちゃんうそついた!かみさまにあやまりや!」
っていう流れになってしまったらしい。今考えたら私が1億%悪い。
かみさまにあやまりや!攻撃を受けた私は、本気で心の中で謝ってたら友達2が「こえにだしてあやまらなかみさまゆるしてくれへんねんで!」と一言。
理不尽!!
泣きながら声に出して「かみさまごめんなさい」した私はその日からその友達に会うのが怖くて泣きながら幼稚園に通ってたらしい。コップ食べれるって言い出した私が100億パー悪いのに。
小学生、好きな子の話は掃除用具入れで話す
そんな松本、幼稚園時代を経て、小学校に入学。
(左は同じマンションのこっちゃん、右が私)
エンジェルブルーとメゾピアノが大流行りしてる歳で、ようやく買ってもらえたエンジェルブルーの上着を着て楽しそうな謎の髪型の私。
この頃からいろんな習い事をし始めます。
英語、お習字、テニス、スケート、ピアノ、続いたのはピアノと英語のみ。
ピアノだけは楽しくて毎日家で弾いてたり、小学校の音楽祭の時はピアノ担当になりたくて、というのもピアノをみんなの前で弾いて「みくちゃんすごい!」って言われたくて、頑張ってた。今思えばこの頃から承認欲求が強くなってた。頑張れこの頃の私。
小学校の頃、好きな子の話をする時は誰にも聞かれたらあかんと思って、友達に話す時はめっちゃ汚い掃除用具入れの中に二人で入って、「あの子が好きなんやけどな」「そうなん?!」みたいな話をしてた。めっちゃかわいい。
幼稚園時代からすごく弱気やった私は、よく男の子にからかわれることが多くて小学校四年生くらいの頃に泣きながらお母さんに「学校行きたくない」ってカミングアウト。大原くん(当時のうちの小学校のトップ、今はフリーター)が私の見た目についてからかってくることが多くて、真面目な私はそれを真摯に受け止めすぎてキャパオーバーしてしまったらしい。
それでも学校に行かせたお母さんは、今もやけど周りの目を気にするタイプやから、うちの子がいじめられて登校拒否はやべえ!って思ってたんやろうか。それともあんまり重く捉えてなかったんか。よくわからんけど、普通に次の日も学校行かされて、お母さんから相談を受けた先生は大原をめちゃくちゃ叱って、からかわれる頻度が減ったおかげで不登校なりかけ問題は解決。今でも大原は大っ嫌い。でもあいつ定職ついてないし、インスタのフォロワーは100人しかおらんし、遊び呆けてるし普通にキモいし私の勝ち。
中学校、厳しいバレーボール部に入部。
お母さんの、「絶対に運動部に入った方がいいよ!」の一声で、1番楽しそうなバレー部に入部。
びびるくらい厳しかった。
このバレー部時代が本当に苦しくて、今でも思い出すだけで辛くなるし、私の性格も尖に尖りまくってたせいで地獄の思い出。
まず、左利きっていうだけで重宝されて、先輩の中に混じって先にレギュラーに任命。ミスしたらめちゃくちゃ叱られて、走り回される。ボールは顔面に当てられるし、髪の毛はバッサリショートにさせられるし、前髪はあげてこいと言われて毎日ゴムでくくってピンで止める。恋愛に惚けてたら意味ないから恋愛禁止、骨に悪いから炭酸禁止、制服のボタンは1番上まで止める、前髪に至っては理解不能。前髪あってもいいやん別に。
一つ上の先輩が一人しかおらんかったのに途中で辞めたせいで一年生の間にたくさんの経験をしました。
私らのプレイが気に入らんかった先生がもうお前らの監督はせん!とかゆって急に職員室に帰るから、24人全員で職員室まで走って「練習してください!」って言いに押し寄せる、みたいな。
他の先生からは「またバレー部やってるで職員室押し寄せ一揆」ってよく言われてたらしい。
キャプテンに任命された私はその頃すごく真面目で、周りの人の言葉に敏感やったせいで、ちょっとでも怠けて怒られるのが嫌で声出せって言われたらしぬほど声出したし、走れって言われたらめっちゃ走ったし、邪魔って言われたらすぐどいた。
体育館から出る出口で、バレー部24人が溜まってたせいで怒られた一件があってから、私が先に降りてみんなを誘導したらいいんやと思って、毎回先に降りてみんなを誘導してたら、もう一人のキャプテンの子に「みくってほんまさきさき動くよな、キャプテンやねんからみんなを先に降ろしてから後でおりや」って説教されて、先生には「みくはそういうところからキャプテンの自覚ないよな」とか言われて、副キャプテンに降格。
きっとそれだけが理由ではないんやと思うけど、なんも私のことわかってくれへんやん!の気持ちが大きくなりすぎて爆発。泣きながら家に帰って、誰も私のことわかってくれへん!って叫びながら布団に籠る。漫画やん。
悲劇のヒロインぶってた私は、何か言われたりするたびにみんな私のことわかってへんなあ〜って思いながら周りの子達を見るようになってしまったせいで、ひねくれ者の完成。
「みくはこうやからな」「みくってこうやんな」って言われる自分の他者からの評価が悪いものになるたびに落ち込んで(今思えばそんなことを本人に言う環境がクソみたいなとこある)早くこんな地元から抜け出したいと思ってた中2。
副キャプテンにおろされてもなお、バレーを頑張った私は唯一うちの中学校から泉北選抜(大阪の南の方の方)に選ばれて、他中の子達とバレーをするようになる。
そこであった子たちがほーーーんまにいい子たちばっかりで、バレーがほんとに好きで好きでたまらん!みたいな子の集まり、ほんでそういう子ってずっとバレーしてきたから昔から選抜に選ばれてたおかげでメンバーはあんまり変わらず、新参者の私と一緒に同じコートで練習するって絶対やりにくかったはずやのに、快く受け入れてくれた。その後、高校に上がったらその中の二人と同じ高校になってバレーをします。やめたけど。
中学校のバレーはほんまに楽しくなかったけど、選抜のバレーが楽しくてバレー続けて行けたし、厳しい環境で頑張ったから、今打たれ強い人間になったと思うので、中学校にちょっとだけ感謝しとく。でも今でもめちゃくちゃ辛い思い出!!
俺、松本のこと好きなんやけど
題の通り、告白されます。
中学校で1番ノリがよくて、1番背が高くて、人気者のAくんから告白を受けた私は、大真面目なのでまだ好きじゃないから一旦保留。当時の好きじゃないと付き合われへん、の感覚を取り戻したい。
周りの友達から「Aと付き合えって!めっちゃいいやつやから!」ともうプッシュを受けて、三ヶ月後くらいに私も「もしやAのこと好きなんちゃん私?」みたいな感覚になって。自分から告白。
返事は「ちょっと、明日答えるわ」
?
なにそれ?
あんなに私のこと好きすぎて周りから固めていって相手を逃げられへんくしていくタイプのお前が?
そして、次の日振られた私。
まじでわけわからんくなって、周りの友達に、「Aに告ったらふられた」と伝えたら、「なんでやろうなあ、みくのことすきやのに」って俯き加減で話しながら逃げられた。怪しい。
いつも一緒に帰ってた友達1(彼女は、幼稚園時代にかみさまにあやまりや!攻撃した本人で、バレー部のもう一人のキャプテンの子)に相談したら、「なんでやろな?あんなに好きって言ってたのにな?」と言われ、余計に混乱。
次の日バレンタインで、Aに渡そうと思って早めに学校に行ったら、Aくんと友達1が一緒に登校している姿を発見。
ほんまに中学時代の私可哀想すぎて、一刻も早く記憶から抜け落ちて欲しい。
地元から遠く離れたバレー強豪校に入学
そんな苦い中学時代を経て、地元から離れた高校じゃないとむり!になった私はバレーが強い高校に入学。
朝の5時から夜の8時まで練習したり、サッカー部の横でめちゃくちゃ走らされたり、もう頑張られへん!と思った私は一年で退部、そこからマクドナルド生活が始まります。
(今では考えられへんぐらいの髪の短さで、毎日練習終わりに駅でパン食べてた私)
私の人生を変えたマクドナルド生活
難波のマクドナルドでご飯食べてたらスカウトされたことがきっかけで地元のアリオ鳳のマクドナルドでバイトを始める。
レジ打ちが異様に早すぎてみんなに驚かれて、スピード出世した私は、当時のマクドナルドでいた赤い服をきたクルーのスター、という役職に任命されます。
(初めてのスター服に変な顔する私を激写する社員さん)
スターは、お客さんとコミュニケーションをとったりホスピタリティに溢れた人じゃないと選ばれないらしく、大喜びした私は高校生で月8万稼ぐほどバイトにのめり込んでしまう。そのせいでテストは9科目中7個赤点、みたいになってしまったんよな〜。
バイトの話をしたらもう一個ブログ書けるぐらい長くなってしまうから割愛。
思い出に残ってるエピソードを一つ挙げるとしたら
大阪で1番アホな高校に通う同期の女の子のしげちゃん。見るからにアホそうな、まつげばっさばさのしげちゃん。
しげちゃんはHey!Say!JUMPの山田涼介が好きすぎて、いつもグッズを壁とかに飾るんじゃなくて、紙袋に全部詰めて枕元に置いて寝てるらしい。
なんでか聞いたら、「もし急に地震来たり津波来てもそれ持ってすぐ逃げれるやん!」と真剣な顔で話してた。それぐらいアホで生きてた方が楽しそう。
高校受験でマクドを一回辞めて、大学生になってもう一回戻ってくる話はまた後ほどします。
当時の店長が底抜けに明るい人で、ずっと笑ってるような忙しくても周りを鼓舞しながら働く人で、その人が1番可愛がってくれていたおかげでこんな人になりたい!と思い始める松本。
この辺りからスーパーポジティブ人間たちと出会い始めて、性格がどんどん変わっていきます。
そんな松本の高校時代、やばい女と出会う
自己肯定感テスト100点の女
大学に入って、新たな友達が誕生。
名前はりさこ(実名)。大学は全然違う女子大。
(左:りさこ 右:私)
高校の時はそこまで仲良くなくて、廊下であっても、あっ、りさこちゃんや、ぐらいのノリ。
お母さん同士が同じ職場で名前と顔だけ知ってるっていう気まずい状況。
りさことなんでこんなに仲良くなったかは全く覚えてないけど、今やクリスマスにプレゼントを贈り合うくらいの親友と化している。ちなみにプレゼント交換楽しすぎて毎年やることが決定しました。
彼女は、私が出会った中で一番と言っていいほど清々しくて、明るすぎる性格のやばい女
なんせ、自己肯定感テスト100点を叩き出した女やから。
自分がする発言に自信がみえるし、人の言動に逐一落ち込んだりする私を励ますでもなく、なんでそんなん気にしてんの?ぐらいのテンションで返してくるスーパーポジティブりさこと一緒におる時間が増えて、徐々にその波に取り込まれる松本。
(お金がないのでぎゅあんばっかたべる二人)
彼女の力はすごいと思う。
アメリカ留学行くから名前と住所貸して!っていきなり言ってきたりするから、いつも驚かされる。先に留学行くこと言え。
たまたま彼女と私の性格(周りの人間斜めから見下ろすスタイル)がマッチしたおかげで、違う大学に通っててもしょっちゅう会ったし、しょっちゅうご飯食べに行って、女子大の話したり、実習の話したり、もう私りさこと同棲できるんちゃう?とずっと思いながら生きてきた。
クソ男にたぶらかされた時も鼓舞しあったし、何かと同じ環境の友達がいてるって素敵やと思う。
私は大好きな人に対してはめちゃくちゃ喜んで欲しいし、サプライズとかしたいタイプから、りさこの誕生日には財布あげたり、韓国旅行のお土産にでかめのうさぎの人形あげたりした。りさこはちょっと引いてた。
(あんまり写真撮らへん二人がプリクラ撮ってちょっと気まずそうなショット)
(あげたらひかれたでかいウサギの人形)
二人とも韓国が好きで、韓国旅行に行って帰ってきたらたまたま同じアイフォンケースを持ってたっていう怖い現象が2回続いたし、同じような服も好きやし、と思ってうさぎをあげた私の単純な思考回路、私は割と嫌いじゃなかったりする。でも人によっては嫌がる人もいてるから気をつけよな。私。
りさことの会話、ラジオにして流したいくらいめっちゃ面白いからいつかインスタで二人のアカウント作って有名になろうな、って約束したのに、りさこのインスタ四年前ぐらいで止まってる。
基本インスタの人達ディスってきたから自分は投稿できひんらしい。
りさこの話したら、大学の話できひんかった。
(人生で1番と言っていいほど楽しかった9日間のヨーロッパ旅行、9日間も他人とおったら大体ムカつくけど、普通に楽しかったのでりさこみたいな性格をした男と結婚に向いてると思う)